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なむなむブログ

京大薬学部4年生。書評、京都観光、考えたことをつらつらと。

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長く生きるほど選択肢が減る!?それでも僕は増やしたい。

 

 

昔から僕たちって、選択を迫られています。

 

中学生まではほとんど自主的に選択することはないのですが、

 

高校受験の頃から

 

「高校はどこを受けるの?公立?学科は?」

 

高校生になったら次は

 

「理系?文系?」

 

で、大学受験では

 

「どこの大学??学部は?学科は?」

 

というふうに、選択肢が提示され、その中から何かを選んできました。

僕たちは、その選択があっているのか間違っているのかはさておき、ある選択肢を選択することによって他の選択肢を捨てるように生きています。

 

 

将来の可能性がなくなる感覚

 

人生において様々な選択をしていく中で、僕は将来がどんどん狭まっていくように感じていました。

 

小学校低学年の頃はプロ野球選手を目指していたけど高学年になるとそれは難しいと感じたし、高校で理系を選択した時は、(実際はそうではなかったんですが)弁護士にはなれないんだなと思って寂しくなりました。

 

このように僕は、昔から、長く生きるにつれて、自分の人生でできることが減っていくと考えていました。

 

つまり、選択するということは、現時点で持っている今後の可能性を手放す行為であると感じていたんですね。

やりたいことが明確になっていない僕にとっては、将来の可能性がなくなることは本当に苦痛でした。

 

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早く何か熱中できるものを見つけないと、どんどん可能性がなくなっている、、

 

見つかった時に遅すぎてもう出来ません、なんてことにはなりたくない、、

 

とずっと焦っていました。

 

選択して失ったものと得たもの

 

 

そんな考えを持ちながらも、選択には期限があるので、仕方なく、かなりたくさんの選択をしてきました。

高校を選び、部活を選び、大学・学部を選び、サークルを選び、、、

 

もっと細かいことをいえば、休日に何をするのか、朝起きてから何をするのか、待ち合わせの空き時間に何をするのか。

 

何をやりたいのか、将来どうなりたいのか、わからないなりに正解と思える選択をしてきました。

 

そして、今の自分があります。

 

今の自分を形成しているのは、大小関わらず今まで自分が行ってきた選択の結果なのです。

 

そこで、今から過去を振り返ってみると、たくさんの選択の結果、確かに僕はプロ野球選手になるとか、弁護士になるとかの選択肢を失いました。

 

でもプログラミングを始めるとか、ブログを書く、という選択をしたおかげで今新しい可能性がどんどん広がっています。

今の自分なら、おもしろいアイデアが浮かんだらWebサービスを作ろう!とか、どうしても伝えたい経験をブログで発信しよう!という発想ができます。

文理選択を迫られた高校生の僕には想像もつかないほどの広がりです。

 

つまり、選択を通じて可能性が狭まると感じていたころの僕は、選択を通じて生まれた新しい可能性に目を向けていなかったんですよね。

 

今手にしている可能性が大切に思えすぎて、新しく得られる可能性を見過ごしていました。

 

今後の選択において考えること

 

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これからも当然、かなりの数の選択を迫られながら生きていくことになります。どこの企業に就職するのか、転職するのか、するのならどの企業にするのか。

 

選択に迫られた時は、今持っている可能性を失うことを考えるのではなく、その選択によって何が得られるのか、どのような選択肢が増えるのかなど、将来に目を向けて考えるようにしたいです。

 

そう考えると、選択を通じて、人生の選択肢は長く生きるほどに増えていき、どんどん可能性が広がっていくように思います。

 

 

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