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なむなむブログ

京大薬学部4年生。書評、京都観光、考えたことをつらつらと。

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【書評】『絶望』ウラジーミル・ナボコフ

書評

「芸術的な完全犯罪」を主人公ゲルマンが自ら行動を小説にまとめ上げた、ナボコフ初期の傑作です。

 

ナボコフはロシア語はもちろん英語やフランス語で執筆を行ったマルチリンガル作家で、「ロリコン」の語源にもなった『ロリータ』で一躍その名を世界に知らしめました。

 

この『絶望』はナボコフがロシア語で執筆していた頃の野心的な作品で、のちの作品に見られるナボコフの才能を垣間見れます。

 

 

あらすじ

 

チョコレート商人のゲルマンは、出張先のプラハで自らにそっくりな浮浪者を見つけ、その瞬間にその男を身代わりにした保険金殺人を思いつきます。

 

その浮浪者を殺害したのち、妻に保険金を受けとらせて、自らは別人になりすまして妻を合流するという、、

 

しかし、自ら「芸術的」だと謳う殺人計画はしだいにほころび始めます。

殺人現場に浮浪者の身分を明らかにするものを残してしまったり、妻の証言が不十分であったり。

 

さらに驚くべきは、ゲルマンが自分にそっくりだと思っていた浮浪者の顔が、本当はゲルマンに全く似ていなかったということ。

 

これは、映画や絵画などの視覚的な情報が存在する芸術と違い、小説という言葉だけで表現する芸術だからこそなしえた結末です。

読者は、筆者の言葉を(当然)信じることで、小説の世界を理解していきます。その言葉をいちいち疑っていては読み進めていくことができません。

 

そこにトリックが仕掛けられていました。

 

主人公ゲルマンが語り手になるという形式で書かれたこの小説の世界は全て、ゲルマン自身の目を通したもので、「顔が似ている」というのはゲルマンの勝手な解釈だったのです。

 

確かに途中で、ゲルマンがドストエフスキーやプーシキンの話をして自信過剰な描写があったり、タルニッツの煙草屋であるはずのないアルダリオンの絵だと勘違いするように、似ていないものを似ていると判断してしまう描写があったりもしますが、ここからそのトリックに気づけることはまずないでしょう。

 

 

感想

 

僕は最後まで顔は似ているものだと信じていたので、死体の身元があっさり特定された理由がよくわかりませんでした。まさか、「顔が似ている」という、保険金殺人の大前提が間違っているなんて思いもしませんでした。

 

衝撃的な結末が本当に見事だったので、次はナボコフの『ロリータ』『カメラ・オブスクーラ』も読んでみようと思います。

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