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なむなむブログ

京大薬学部4年生。書評、京都観光、考えたことをつらつらと。

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師のようになりたければ、師を見るな。

誰かに憧れて、その人のようになりたいと思ったら、教えてもらったり観察したりしますよね。

 

その憧れの人を師と呼ぶとすると、教えてもらったり観察したりするのは師を見ていることになります。

 

教えを乞うこと

 

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確かに、何かを上達しようと思えば、一流の人に教えてもらうのは、かなり有効な方法だと思います。でもそれだと、それ以上になれないんじゃないかと思います。

 

 

誰かから何かを教えてもらうという構造上、教えてもらえる内容は師の知っている範囲内になり、必然的にそれ以下の実力しか身につきませんよね。

 

例えば中学や高校の授業。先生に教えてもらうだけで、教科書などで自ら勉強しなければ、確実に先生以上の知識は得られません。当たり前ですね。

 

こんな当たり前のことでも、学校の勉強以外のことになったら、わからなくなることがあります。セミナーや読書でインプット中心になっている人などはこれに当てはまるかと思います。

すごい人に教えてもらったり、すごい人の本を読むことで、師のようになれるんじゃないかと考えている場合です。でも実際には、「教える」という行為を通じて、情報の質は必ず落ちます。

それを全て吸収したとしても、師と同じレベルに到達するのは難しいです。

 

 

学ぶとは、真似ること?

 

学ぶの語源は「真似ぶ(まねぶ)」であり、つまり真に似せることであると言われます。真似をすることが学ぶことならば、師だけを見て真似をすれば、そのようになれるようにも思えます。

 

しかし、僕はそのまま真似をするだけでは不十分だと考えます。師は、様々な経験を積み、いろんな情報に触れることで今のスタイルを確立しています。

 

例えばブロガーなら、今成功している方は、それ以前に成功していたブロガーの記事を読んだり、ネットや本から情報収集したり、自分で試行錯誤したりしながら今の地位を得ていると思います。

 

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それをポっと出の人が、その努力をせずに、師の真似をするだけで同じようになれるとは思いません。師が見てきたものを追体験したり、今見ているものを同じく見るように心がけることで初めて、本質を理解でき、師と同じレベルに到達できるのです。

 

まとめ

 

師のように、あるいはそれ以上になりたいと考えるのであれば、師を見ているだけでは不十分です。本当に師が見ているものを見ることで、師と感性が近くなり、その本質を習得することができるのです。今後は師の情報源や経験を知ることで、より深い学びをしていきたいものです。

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